甲子園駅北のマンションで甲子園筋に面する
レフィナード甲子園は、かつての住友金属の寮のあとに建っている。
昭和の初期、会社の寮も木造が多かった時代に
鉄筋コンクリートの堂々たる建物であった。
住友財閥は、戦国末期に蘇我理右衛門が銅精錬の技術
(南蛮絞りの秘法)を完成したことに始まる。
理右衛門の子が京都の住友家に養子として入り、
その子孫は大阪に移住し、別子銅山を開発して大いに栄えた。
これは、今の住友金属にあたる。
屋号は泉屋。 住友グループ「白水会」の名前はこれに由来する。
住友家は明治に至り男系が途絶え閑院宮の流れをくむ公家から養子をむかえる。
江戸時代の大阪では淀屋をはじめとして数代で消えていく財閥が多いなかで
鴻池とともに江戸時代を通じて栄えたばかりでなく近代以降の発展もめざましい。
かつての三和銀行は、その一部に鴻池の流れを伝える存在であったが、
住友銀行は太陽神戸三井銀行と合併するまで、住友そのものであった。
今ではM&Aが進んで資本系列もゆらいできているが
かつては大阪の証券会社では大和證券、私鉄では阪神電鉄が住友に近かった。
野村證券と阪急は、三和銀行と親しかったようである。
住友銀行本店周辺は住友村と呼ばれる。
そのメンバーのひとつにスポーツ品のミズノがあり
淀屋橋南詰に8階建ての店をかまえる。
このビルができたときは周辺は木造家屋が主流であった。
さながら高層ビルのごとくそびえていたそうである。
ミズノは野球の輸入と普及をささえた会社であり
現在の高校野球にも深くかかわっていた。
甲子園もまた、住友村だったのである。